奮闘記7:あさひ

3月、仕事に復帰した。

初日の出勤する道で何度も涙を流していた。職場に着いてからも更衣室で仕事仲間の先輩ママさんに抱き着い泣いてしまった。休憩中にはミーティングを開いてもらい、みんなに自分に起きた出来事を自分の言葉で伝えた。一人ひとり受け取り方は違ったと思うけど、私は何一つ隠す事なく全て話すことが、自分の不在の間一生懸命園を支えてくれた人たちに対しての誠意だと思いお話しさせてもらった。

職場では、ある程度の役割を与えられていた事もあり毎日忙しく、以前の自分を取り戻し責任感に燃えていた。そして、自分と同じ思いは誰にもしてほしくないと職場の二人の妊婦さんの為に自分ができる事を精一杯やろうと決めた。

仕事があって救われた。同僚たちと過ごす時間が私を支えてくれた。

それでも、一人になると涙が溢れて妊婦さんや妊婦マークをつけている方を見るとただただ苦しくなった。自分はダメな人間で生きている意味がないと思ったし、軽いうつ病だったように思う。

 

赤ちゃんを失ってから奇跡のような出来事が私たち夫婦には2回起きた。

一度はある日、夫と一緒に通勤列車に乗っていた時。

ドアの前に二人で立って乗っていた。職場から離れたところに住んでいたので早朝だった。目の前にオレンジ色に輝くとっても綺麗な朝日が私達を照らした。その時「ああ、あの子の名前は『あさひ』だ」と心の中で思った。すると、隣にいた旦那が私に向かって「あさひくんって名前だね。あの子は。」と言ってきた。私は驚いて鳥肌が立った。その後、二人で「あの子はの名前は『あさひ』だね。」とこちらに向かってピカピカ光っている朝日に言った。

もう一つは、赤ちゃんの水子供養に行った時。

何人かの夫婦の方と一緒に供養の場所に移動し、自分たちの赤ちゃんのロウソクの場所へ手紙や写真お供え物を起き席に着いた。供養は30分ほどだった。「赤ちゃんが寂しくありませんように。お友達ができますように。」心の中でお祈りしていた。供養が終わった瞬間、それまで綺麗な一本線を描いて煙を上げて燃えていた私達の赤ちゃんのロウソクがシュッと消えた。私には赤ちゃんが「ありがとう。行ってきます。」と言っているように見えた。その時少し気持ちが軽くなったのだ。帰り道、夫が私に言った。「俺たちの赤ちゃんのロウソク、供養が終わった瞬間に『行ってきます。』て感じて綺麗に消えたね。」

この二つの出来事は私達夫婦にあさひが起こしてくれた奇跡だと思っている。

辛い毎日だったけど、悲しい事ばっかりだったけど、ちゃんと産んであげられなくてごめんねって何度も自分を責めたけど、あさひがずっと幸せでいられるように自分も少しずつ笑えるように。

一緒に過ごした1ヶ月の日々を忘れる事は無いし、もともと泣き虫の私はこれからも沢山思い出して泣くと思う。だって今、書いているこの瞬間も泣いている。でも、あさひへの涙を流す事ができるのは私だけだから、私はあさひのお母さんとしてこれからもあさひを想って涙を流す。そこには、悲しみだけじゃなくて、辛い思い出だけじゃなくて、二人で一緒に過ごした日々とあさひに出会う事ができた事への感謝もあるという事にして。

ありがとう。

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